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合格体験記①

名前:影澤泰人

高校名:私立早稲田高等学校卒

合格年:2016年

入塾時期:高校2年生の夏

合格大学・学部

東京工業大学(第6類)早稲田大学(理工学部)慶應義塾大学(理工学部)東京理科大学(理工学部)

【プロフィール】

東京都練馬区在住、私立早稲田高等学校卒(硬式テニス部所属)
理系の国立大学現役合格を目指し、武田塾へ入塾

【出身高校の偏差値と得意科目、苦手科目】

早稲田高校の偏差値は75。

《得意科目》:数学

もともと数学はできた。解答・解説を読めば理解できないこともなかった。それでも武田塾に入ってから、東工大を受けるために、かなり演習量を重ねた。ケアレスミスが多かったので、取りこぼしをなくすための訓練を重ねた。

《苦手科目》:国語(現代文、古文、漢文)、英語

長文を読むのがあまり好きではなくて、現代文などの論説が苦手だった。1次試験のセンター試験だけは受けざるを得なかったが、古文・漢文は国語って感じじゃないので、まだ勉強さえすればなんとかなった。典型的な理系のタイプなので、読むのも書くのも好きじゃない。武田塾でも国語は履修していない。センター試験のためだけに国語を勉強するのが辛かった。
英語は、武田塾へ通い始めてから、語源や身の回りの雑学を絡めた英単語指導や、ハイレベルなオリジナル教材のおかげでかなり力が付いた。武田塾の講師の大原先生が自分に合わせてくれた指導が効果的だった。

【合格した大学の受験科目】

センター試験は、国語(古文・漢文・現代文)、数学、物理、化学、英語、倫政
二次試験は、英語、数学、物理、化学

【勉強時間】

先に書いたように中間テストや期末テストの前に、集中してちょこちょこやるのが常だったが、それでも高校2年の冬休みからは、1日10時間は勉強するようになった。

【受験生活のパターン】

受験勉強を気にし始めたのは高校2年の夏ぐらいからだが、でもそのころはまだ部活があり、本格的に受験勉強を意識し始めたのは12月から、つまり高校2年の冬からだった。
勉強が嫌いだったから、そのころの成績はさほど良くなかったので、さすがにそろそろ勉強しないとやばいと思うようになった。それでも部活が終わっても、しばらくは勉強モードになれなかった。自学自習の習慣もなく、勉強しようという気持ちはあっても、なかなかできなかった。
それでも毎日、今日はこれをやろうと決めて、適当に勉強をはじめた。だから高校の授業がないときでも、ほぼ毎日高校へ行っていた。7時起床で、8時~12時までは高校の図書館で勉強していた。
さらに午後1時半から夜の9時、10時ごろまでは武田塾の自習室で勉強した。
◆高校時代の自分
出身高校の早稲田高校は、早稲田大学の隣にある中高一貫の男子校。高校2年で数Ⅲまで終わらせるといった恐ろしい高校だった。しかし通っている早稲田高校は優秀でも、自分自身は高校2年の7月ごろまでは偏差値もごく普通で、優秀な生徒とは到底言えなかった。勉強は嫌いな方で、中間テストや期末テストのときに、ちょこちょこと集中して勉強する程度だった。
部活は硬式テニス部に所属して、シングルもダブルもやっていたが、特に言えるほどの成績を残したことはない。それでも高校2年の11月か12月ぐらいまでは現役でやっていた。毎朝7時からが朝練で、そこそこ頑張っていたと思う。
◆武田塾との出会い
ネットのグーグル検索で、「池袋」「塾」で検索したら武田塾に辿り着いた。
駿台で、100人で授業を受けるなど、考えるだけでも疲れてしまう。10人ぐらいなら耐えられるかもしれないが、駿台や河合塾など大手の塾で、集団授業を受けるのは苦手だった。
だからネットで個人塾を探して、武田塾に出合うことができた。早速、高校2年の7月に受験相談を池袋校で受けた。受験相談に応じてくれたのは丸山大輔さんだった。
高校1年のころに、東大は無理だと思って候補から外した。さらに京大は遠いからと外して、理系で国立を考えたら東工大しか残っていなかった。
だから「東工大でもいいや!」と思ったのだが、丸山さんに東工大合格への参考書のルートを紹介されたものの、到底一人で勉強できるような量ではなかった。

そのころはまだまだ勉強することに受け身の姿勢だったし、実際のところ、こんなに勉強しなければならないなんて、想像もつかなかった。ただ、武田塾に入らずに自力で勉強できる内容でないことだけは理解できた。
武田塾に入ったのは高校2年の夏からだった。最初は嫌々勉強していたものの、東工大合格を射程に入れた勉強のスケジュール管理をしてもらい、さぼっていたら注意してくれるので、徐々に成果も実感できるようになった。
高校3年の夏ぐらいからは、模試などの成績も上がりはじめた。勉強も、武田塾の先生や親から言われてやるのではなく、自分から進んで勉強するようになったが、このことには、それこそ本人が一番驚いている。
◆成績はどう変わった?
東工大模試、東工大オープンの結果、高校2年のころはC、D判定だった。しかしそれでも武田塾に入って、勉強の手ごたえが少しはあった。高校2年の最後の3月の模試ではB判定になった。
急に成績が上がったのは高校3年の夏だ。高校3年の夏明けには全部A判定。「お前は、受かる。受かる」と周りに言われて、かえってプレッシャーになった。
逆に、落ちたらカッコ悪いので、気が気じゃなかった。「お前はもう勉強しなくてもいいよ」と言われても、「そうはいくか!」と思った。
◆スランプについて
担当の先生に相談した。
担当だった慶應義塾大学医学部の大原先生に、高校3年の春から英語と数学を指導してもっていた。解らないところだけでなく、「これも覚えておいた方がいいよ」とプラスαでいろいろなことを教えてもらった。
数学では、どうしてこういう解き方が必要になるのかなど、本質的な部分を教えて貰えたように思う。英語のプリントを作ってくれて、すごく役に立ったこともあった。

高校3年の12月、1月を迎えるころには、武田塾のルートによる勉強を早くこなし過ぎて、次にやることがなくなってしまった。
しかし何もしないのも怖くて、何をしたらいいのか迷ってしまった。
何もしないでいると大学に落ちるという恐怖感に襲われる。大原先生に「何をやったらいいか」を聞いて、追加で志望校や分野の対策に取り組んだ。
◆受験直前期の心構え

これは、一にも二にも健康だと思う。受験本番に風邪を引いていたら、受かるものも受からない。
インフルエンザの予防接種、外出の際はマスク、人混みは避け、人を除けて歩き、早寝早起きを心がける。食事にもちゃんと気を配る。そんな、むっちゃ健康的な受験生だった。
◆東工大第6類を目指した理由
東工大の第6類は、建築と土木の学部だ。
女子も3割いるし、今は1年生なので教養科目をいろいろとやっていて、2年生から専門科目になる。
もともと専門的な分野を学びたかった。物心がついたときから構造物が好きで、カプラという木の板が入っている玩具で遊んでいた。カプラのほかにはレゴブロックも好きでよく遊んでいた。
他の選択肢としては、宇宙や機械の世界にも興味があったが、東工大の第6類に合格した今は、まずは自分の住む家を自分で設計したい。友達の家も建てたい。図面を描いて、家を建てたいと思っている。
◆合格した喜び、将来の夢
嬉しかった。やっと終わってほっとした。東工大に張り出される合格者発表を直接見に行った。やっぱり第一志望だから、自分の目で確かめたかった。母も行きたいと言ってくれたので、二人で見に行った。
合格の喜びを、母校の早稲田高校にも報告に行った。武田塾池袋校の鈴木さんや大原先生にも挨拶に行った。
将来のことはまだ考えてないが、一級建築士にはなりたい。まだ就職のことなどは何も考えていないが、建築士となって、ビル・橋・ダム・一般家屋などなんでも、いろいろな建築物の設計に携わりたい。
◆これから受験される方へ
親しかった友達(部活が同じでクラスも一緒)が東工大へ一緒に行こうと言っていたので、そいつにつられて勉強を始めたという経緯がある。しかしそいつは進路を変更して東大に行ってしまった。

武田塾が指導しているように、自学自習が一番大切だが、一人で頑張っていると孤独になる。
最後は、自習室に籠って勉強するけれど、周りと喋らないことには、みんながどれくらい勉強しているか解らなくなり、不安になる。やはり話せる友達がいない受験勉強は、不安もあるし、緊張もするし、ストレスが溜まってしまう。

そんな自分に、武田塾は適度な緊張と、今は何をするかという課題の提示と、共に勉強する仲間を提供してくれた。武田塾の講師はみんなフレンドリーだったし、一人で勉強するのは精神的にきつかったが、今では無事受かったので、耐えて勉強した甲斐があったと思っている。

そんな武田塾で2016年の春から、自分も講師として後進の受験生の役に立とうと思っています。
自分次第で成績はいくらでも上がります。頑張ってください。

 

名前:影澤泰人

高校名:私立早稲田高等学校卒

合格年:2016年

入塾時期:高校2年生の夏

合格大学・学部

東京工業大学(第6類)早稲田大学(理工学部)慶應義塾大学(理工学部)東京理科大学(理工学部)

【プロフィール】

東京都練馬区在住、私立早稲田高等学校卒(硬式テニス部所属)
理系の国立大学現役合格を目指し、武田塾へ入塾

【出身高校の偏差値と得意科目、苦手科目】

早稲田高校の偏差値は75。

《得意科目》:数学

もともと数学はできた。解答・解説を読めば理解できないこともなかった。それでも武田塾に入ってから、東工大を受けるために、かなり演習量を重ねた。ケアレスミスが多かったので、取りこぼしをなくすための訓練を重ねた。

《苦手科目》:国語(現代文、古文、漢文)、英語

長文を読むのがあまり好きではなくて、現代文などの論説が苦手だった。1次試験のセンター試験だけは受けざるを得なかったが、古文・漢文は国語って感じじゃないので、まだ勉強さえすればなんとかなった。典型的な理系のタイプなので、読むのも書くのも好きじゃない。武田塾でも国語は履修していない。センター試験のためだけに国語を勉強するのが辛かった。
英語は、武田塾へ通い始めてから、語源や身の回りの雑学を絡めた英単語指導や、ハイレベルなオリジナル教材のおかげでかなり力が付いた。武田塾の講師の大原先生が自分に合わせてくれた指導が効果的だった。

【合格した大学の受験科目】

センター試験は、国語(古文・漢文・現代文)、数学、物理、化学、英語、倫政
二次試験は、英語、数学、物理、化学

【勉強時間】

先に書いたように中間テストや期末テストの前に、集中してちょこちょこやるのが常だったが、それでも高校2年の冬休みからは、1日10時間は勉強するようになった。

【受験生活のパターン】

受験勉強を気にし始めたのは高校2年の夏ぐらいからだが、でもそのころはまだ部活があり、本格的に受験勉強を意識し始めたのは12月から、つまり高校2年の冬からだった。
勉強が嫌いだったから、そのころの成績はさほど良くなかったので、さすがにそろそろ勉強しないとやばいと思うようになった。それでも部活が終わっても、しばらくは勉強モードになれなかった。自学自習の習慣もなく、勉強しようという気持ちはあっても、なかなかできなかった。
それでも毎日、今日はこれをやろうと決めて、適当に勉強をはじめた。だから高校の授業がないときでも、ほぼ毎日高校へ行っていた。7時起床で、8時~12時までは高校の図書館で勉強していた。
さらに午後1時半から夜の9時、10時ごろまでは武田塾の自習室で勉強した。
◆高校時代の自分
出身高校の早稲田高校は、早稲田大学の隣にある中高一貫の男子校。高校2年で数Ⅲまで終わらせるといった恐ろしい高校だった。しかし通っている早稲田高校は優秀でも、自分自身は高校2年の7月ごろまでは偏差値もごく普通で、優秀な生徒とは到底言えなかった。勉強は嫌いな方で、中間テストや期末テストのときに、ちょこちょこと集中して勉強する程度だった。
部活は硬式テニス部に所属して、シングルもダブルもやっていたが、特に言えるほどの成績を残したことはない。それでも高校2年の11月か12月ぐらいまでは現役でやっていた。毎朝7時からが朝練で、そこそこ頑張っていたと思う。
◆武田塾との出会い
ネットのグーグル検索で、「池袋」「塾」で検索したら武田塾に辿り着いた。
駿台で、100人で授業を受けるなど、考えるだけでも疲れてしまう。10人ぐらいなら耐えられるかもしれないが、駿台や河合塾など大手の塾で、集団授業を受けるのは苦手だった。
だからネットで個人塾を探して、武田塾に出合うことができた。早速、高校2年の7月に受験相談を池袋校で受けた。受験相談に応じてくれたのは丸山大輔さんだった。
高校1年のころに、東大は無理だと思って候補から外した。さらに京大は遠いからと外して、理系で国立を考えたら東工大しか残っていなかった。
だから「東工大でもいいや!」と思ったのだが、丸山さんに東工大合格への参考書のルートを紹介されたものの、到底一人で勉強できるような量ではなかった。

そのころはまだまだ勉強することに受け身の姿勢だったし、実際のところ、こんなに勉強しなければならないなんて、想像もつかなかった。ただ、武田塾に入らずに自力で勉強できる内容でないことだけは理解できた。
武田塾に入ったのは高校2年の夏からだった。最初は嫌々勉強していたものの、東工大合格を射程に入れた勉強のスケジュール管理をしてもらい、さぼっていたら注意してくれるので、徐々に成果も実感できるようになった。
高校3年の夏ぐらいからは、模試などの成績も上がりはじめた。勉強も、武田塾の先生や親から言われてやるのではなく、自分から進んで勉強するようになったが、このことには、それこそ本人が一番驚いている。
◆成績はどう変わった?
東工大模試、東工大オープンの結果、高校2年のころはC、D判定だった。しかしそれでも武田塾に入って、勉強の手ごたえが少しはあった。高校2年の最後の3月の模試ではB判定になった。
急に成績が上がったのは高校3年の夏だ。高校3年の夏明けには全部A判定。「お前は、受かる。受かる」と周りに言われて、かえってプレッシャーになった。
逆に、落ちたらカッコ悪いので、気が気じゃなかった。「お前はもう勉強しなくてもいいよ」と言われても、「そうはいくか!」と思った。
◆スランプについて
担当の先生に相談した。
担当だった慶應義塾大学医学部の大原先生に、高校3年の春から英語と数学を指導してもっていた。解らないところだけでなく、「これも覚えておいた方がいいよ」とプラスαでいろいろなことを教えてもらった。
数学では、どうしてこういう解き方が必要になるのかなど、本質的な部分を教えて貰えたように思う。英語のプリントを作ってくれて、すごく役に立ったこともあった。

高校3年の12月、1月を迎えるころには、武田塾のルートによる勉強を早くこなし過ぎて、次にやることがなくなってしまった。
しかし何もしないのも怖くて、何をしたらいいのか迷ってしまった。
何もしないでいると大学に落ちるという恐怖感に襲われる。大原先生に「何をやったらいいか」を聞いて、追加で志望校や分野の対策に取り組んだ。
◆受験直前期の心構え

これは、一にも二にも健康だと思う。受験本番に風邪を引いていたら、受かるものも受からない。
インフルエンザの予防接種、外出の際はマスク、人混みは避け、人を除けて歩き、早寝早起きを心がける。食事にもちゃんと気を配る。そんな、むっちゃ健康的な受験生だった。
◆東工大第6類を目指した理由
東工大の第6類は、建築と土木の学部だ。
女子も3割いるし、今は1年生なので教養科目をいろいろとやっていて、2年生から専門科目になる。
もともと専門的な分野を学びたかった。物心がついたときから構造物が好きで、カプラという木の板が入っている玩具で遊んでいた。カプラのほかにはレゴブロックも好きでよく遊んでいた。
他の選択肢としては、宇宙や機械の世界にも興味があったが、東工大の第6類に合格した今は、まずは自分の住む家を自分で設計したい。友達の家も建てたい。図面を描いて、家を建てたいと思っている。
◆合格した喜び、将来の夢
嬉しかった。やっと終わってほっとした。東工大に張り出される合格者発表を直接見に行った。やっぱり第一志望だから、自分の目で確かめたかった。母も行きたいと言ってくれたので、二人で見に行った。
合格の喜びを、母校の早稲田高校にも報告に行った。武田塾池袋校の鈴木さんや大原先生にも挨拶に行った。
将来のことはまだ考えてないが、一級建築士にはなりたい。まだ就職のことなどは何も考えていないが、建築士となって、ビル・橋・ダム・一般家屋などなんでも、いろいろな建築物の設計に携わりたい。
◆これから受験される方へ
親しかった友達(部活が同じでクラスも一緒)が東工大へ一緒に行こうと言っていたので、そいつにつられて勉強を始めたという経緯がある。しかしそいつは進路を変更して東大に行ってしまった。

武田塾が指導しているように、自学自習が一番大切だが、一人で頑張っていると孤独になる。
最後は、自習室に籠って勉強するけれど、周りと喋らないことには、みんながどれくらい勉強しているか解らなくなり、不安になる。やはり話せる友達がいない受験勉強は、不安もあるし、緊張もするし、ストレスが溜まってしまう。

そんな自分に、武田塾は適度な緊張と、今は何をするかという課題の提示と、共に勉強する仲間を提供してくれた。武田塾の講師はみんなフレンドリーだったし、一人で勉強するのは精神的にきつかったが、今では無事受かったので、耐えて勉強した甲斐があったと思っている。

そんな武田塾で2016年の春から、自分も講師として後進の受験生の役に立とうと思っています。
自分次第で成績はいくらでも上がります。頑張ってください。

 

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